交響曲第2番 ハ長調 Op.61
ロベルト・シューマン
ザクセン王国(現在のドイツ)、ツヴィッカウの有名な出版社を営む家に生まれたシューマンは、音楽の才能を早くから現し、また同時に文学にも親しみながら育った。1845年の秋、シューマンはメンデルスゾーンに宛ててつぎのように書き送った。「少し以前から私のなかでハ調のトランペットがひびいています。これからどのような形のものが生まれてくるのか私にはわかりません」。その少し前から悩まされていた激しいうつ症状と闘いながらも次第に交響曲としての形を成してゆき、1846年ライプツィヒにて、メンデルスゾーンの指揮で初演された。その後シューマンは当時を振り返ってこう述べている。「私は、これをまだ半分病気の時にスケッチした。いうなれば、これは、そうした気分に対して反抗した作品である。」精神の病によって綴じ込められているある種の世界、心の檻の中から脱して、人と人が共存している世界へ帰りたいという願望、もがき、あがく様子がこの曲にはよく現れている。いわば全力投球されているためスケールが大きく作りも複雑だ。強い心のエネルギーが既存の形を打ち破っている情景は、シューマンの音楽の特徴でもあり、その意味でこの第二番は彼の交響曲の中でももっとも彼らしい魅力に溢れているとも言えよう。 歴史に名を連ねるほとんどの大作曲家と同じく、彼の曲もまたキリスト=神への信仰が土台 となっており、例えば「三位一体」の三、魂が救われることの喜びを表す数字ともいえるのではないかと思うのだが、これがリズムとなって「タタタ」「タンタンタン」「ターンターンターン」など、この曲においてもしつこく出てくる。結局は救いの力が勝つのだ! と叫んでいるようでもある。ぜひ耳をすませてみてほしい。また人が好きだったシューマンは、特に尊敬する人への憧れを募らせると自身の音楽にそれが影響することもよくあった。例えば彼がまだ交響曲に本格的に着手する以前にシューベルトのハ長調の大きな交響曲の遺稿を発見し、その初演を聴いた時、「交響曲を作曲しようという気がむらむらとおこった」そうだ。ちなみに今回の第二番も同じハ長調。また、この第二番の特徴である、苦しさをのりこえて喜びに辿りつく、という全曲を通したストーリーは、歓喜の歌で有名なベートーベンの交響曲第九番と共通している。その他にも先述の二人やメンデルスゾーン等の影響が見られる。そしてシューマンの音楽もまた、ブルッフなど後の多くの作曲家に影響を与えている。
第1楽章…遠くから聞こえてくるような、例のトランペットの、ソとレを使った堂々とした旋 律と、シューマン自身の心のうごめきを表すような弦のウネウネしたはっきりしない動きとではじまる出だしはこの曲を特徴づけている。病との奮闘、とりつこうとするものとそれから必死に逃れようとするあがきの楽章。
第2楽章…手のつけられない躁状態を表しているのか、ねずみが家を食いあらしつつ駆け回 っているかのような速い十六分音符の連続のメロディが印象的。それは滑稽さも感じさせ、客観的な振り返りの記録であるようにも伺える。間には、裏を返したら別世界だった、なトリオが2回挟まれる。
第3楽章…しぼりだすように歌われる非常にメランコリックなメロディが、複数の楽器によって交互に歌われる。この楽章のみハ短調。長調のように感じるところも雰囲気は暗い。絶望と希望の、絶望よりの狭間にいるのか。
第4楽章…ようやく苦しみから抜け脱したことの喜びと感謝の楽章。途中、闘病を思い起こ し第3楽章、第1楽章のメロディも登場する。最終的には神への感謝を表すかのごとく、3連符のリズムが、繰り返し強調するように打ち鳴らされる。
(Vn 鹿野露馨)