平 真実
2020年から始まったコロナ禍は、この5月に第五類に分類されたことで一定の終息に至りました。もちろん、ウィルスが消えてなくなったわけではなく、引き続きの警戒は必要なのでしょうが、概ね以前の生活に戻りつつあるように思います。少なくとも朝晩の電車は混雑し、飲食店には賑わいが戻り、街は外国からの観光客で溢れています。
クラシックを含む音楽界も、ほぼ、元の姿に戻ったといえます。長く・息詰まるような不便な生活でしたが、まずは素直に「良かった」と思います。昨年の7月、我々は第10回演奏会を開きましたが、当時はまだまだコロナ感染のピーク期で、不安と不便の中での演奏会でした。今年の第11回は、久々に心置きなく演奏できること、とても楽しみにしています。
さて、今年も、フラットフィルらしいプログラムを組むことができたと思っています。取り上げるのは、独墺(ドイツ・オーストリア)のロマン派(特に後期)に属する三人の作曲家です。存在自体が音楽界の“劇薬”であったR.ワーグナー、そして彼の影響を色濃く受けたR.シュトラウスとフランツ・シュミット(シュミットという作曲家は他にフローラン・シュミットという人がいますので、はじめはフランツ、と書きました。以下ではF.に略します)の二人です。この三人の生年の順はさておき、今回演奏する三曲の作曲年順は、ワーグナー(1845)→シュミット(1899)→シュトラウス(1947)と、一言でロマン派作曲家が書いた作品と言っても100年以上の時間差があります。仮にワーグナーを一つの起点と考えた時に、今回の3曲は、その後の時間の経過(物理的な経過だけではなく社会や技法の変化を含む経過)と、一方で時間とは直接関係のない内面的な変化の有無という、複眼的な視座を与えてくれるように思います。いずれにしても、わずか三人の作品を通じて全てを理解することはできませんが、「古い時代だから古い」「最近の物は新しい」という直線的なものではない、それぞれに面白い立ち位置にある各曲を楽しんでいただければと思います。
以下、選曲した順に簡単に各曲に触れたいと思います。
三曲の内、はじめに決めたのは、R.シュトラウスの二重小協奏曲でした。「団員がソリストを務めて協奏曲を演奏する」ことは、当団は実に過去4回行っており、もはやプログラムの“定番”の域です。今回は、クラリネット首席の高井洋子さん・ファゴット首席の久住美香さんですが、以前より、久住さんにはソロをお願いしたいと考えてきた中で、今回引き受けてくれることになりました。また、その相棒としてまさに適役の高井さんも、久しぶりにソリストとして登場です。
団員がソリストを務めるのは、アンサンブル上のメリットが大きいと考えています。当然ながら、いつも共に演奏する仲間同士ですから、「気心の知れた調和」「阿吽の呼吸」が、無理なく生まれてきます。一方、ゲストソリストとの共演にみられる「良い意味での緊張感」が欠けるのではないか、という考えもあるかもしれません。しかしながら、それを差し引いても、私はメリットが上回ると考えています。仲間同士でも意図的に緊張感を生み出すことは可能ですが、仲間同士の一体感は、意図的に・簡単に生み出すことはできないからです。言うまでもなく、協奏曲のソロパートは、技術的にも音楽的にも簡単なものではなく、誰でもできるわけではありません。しかしながら、百戦錬磨のメンバーが揃っている当団では、全く問題はありません。
R.シュトラウス(1864~1949)は、『ツァラトゥストラはかく語り』をはじめとした大規模・大音量のオーケストラ曲のイメージが強い作曲家ですが、生涯にわたり、いわゆる「古典派」へ強い憧れを持っていました(モーツァルトへの熱い想いを表した言葉をたくさん残しています)し、現に、多くの小編成の曲を残しています。そんな彼が最晩年に作曲した(亡くなる2年前で、第二次世界大戦が終わった後ですから「現代」と言ってもよい年です)のが、この二重小協奏曲です。古典というよりも、むしろ、さらに古い時代のバロック時代に流行した合奏協奏曲を彷彿とさせる編成、一方で詩心に溢れた抒情的な旋律、彼独特の不思議な雰囲気とトリッキーな動き、等々が聴き手を楽しませてくれます。この曲は、構想段階では、童話を基にした標題音楽を想定して書かれた(最終的には純粋な器楽曲になりました)ということもあり、クラリネットとファゴットが会話をするような音楽は、ユーモアのある一種の劇のような雰囲気でもあります。
今回の演奏会では、『タンホイザー』序曲の大音量の後に演奏しますが、ソロ+弦楽器+ハープ、という誠に小編成のこの曲は、一服の清涼剤のような感じになるでしょう。
老作曲家が、激動の時代を生き抜いた先に見た景色は、どのようなものだったのでしょうか。そんな興味も抱かせる作品です。
次に選んだのは、F.シュミット(1874~1939)の交響曲第一番でした。星の数ほど、それも、綺羅星のごとく多くの大作曲家が生まれた後期ロマン派の中で、なぜF.シュミットを取り上げるのか。理由は三点です。第一に、数年前にH.ロットの交響曲を演奏しましたが、お陰様でその時の反響がよく、いわゆる“世紀末感”のある曲を選曲したかったこと、第二に、あまり知られていない作曲家の曲であること(ポピュラーではない曲を選ぶのも、当団の伝統でもあります)、第三に、調性(H.ロットを演奏した回と同様、“調の回帰”)、です。もちろん、その他にも演奏時間や楽器編成も考慮しました。
F.シュミットとは誰だ?という方も多いでしょうから、少し説明します。
F.シュミットは、1874年に現在のスロヴァキアに生まれました。その後一家でウィーンに移り、音楽家を志します。ウィーン楽友協会音楽院(現在のウィーン国立音楽大学)卒業後すぐにウィーン宮廷歌劇場のチェリストの職を得て本格的な活動をはじめますが、この交響曲は、そんな時期(1899年:25歳)に書かれました。作風は、ブルックナー的でありワーグナー的であり、ブラームス的でもあり、そう、H.ロットの交響曲(1874年作=シュミットが生まれた年ですね)にどことなく似ています。調も、ロットと同じく、交響曲には不向きと言われるホ長調。ただし、ロットと違い、楽曲構成はよりしっかりとしており、「きちんと」書かれています。第一楽章は序奏部を持つ分かりやすいソナタ形式(第二主題部は若干個性的ではあります)。第二楽章(緩徐楽章)と第三楽章(スケルツォ)は三部形式、第四楽章はコラール風主題を持つロンド形式と、まず、外形からして明確に「ザ・交響曲」です。各楽章のバランスも良く、全体で45分程の楽曲です。また、第四楽章のコラール部は第一楽章の主題を下敷きにしていますので、楽曲全体の統一感もあります(循環形式)。その上で、目まぐるしい転調やレントラー風旋律、世紀末的なけだるさも散りばめられ、聴き手を飽きさせません(その代わりに、演奏する側はかなり大変です)。なお、シュミットがロットの交響曲を知っていたかというと、知らなかったと思います。なぜならば、この当時、ロットの楽譜は楽友協会にお蔵入りになっていたはずだからです。
彼が生まれた1874年は、シェーンベルクが生まれた年でもあります。また、一歳違いにはラヴェルやラフマニノフがいます。交響曲第一番が書かれたのは1899年、つまりほぼ20世紀ですが、この時には、マーラーはすでに交響曲第四番に着手していました。そうしたことを考えると、いかにもシュミットの交響曲第一番の作風は「時代遅れ的」な感は否めません。一方で、彼のこうしたスタイルは、当時も「王道」と思われていたのでしょう、この作品は1901年にウィーン楽友協会から「ベートーヴェン賞」を授与され、1902年ウィーン楽友協会大ホールにおいて、彼自身の指揮によって初演されました。シュミットは、その後もウィーンの音楽界で重きをなし、音楽院の学長にまで上り詰めます。もちろん、作曲家というだけでなく、教育者としての才もあったからに他なりません。いずれにしても、日本ではあまり知られていないシュミットですが、当時のウィーン音楽界の重要人物として生涯を送りましたし、独墺では、現在も演奏会でよく取り上げられている作曲家です。
シュミットは4つの交響曲を残していますが、恐らく最後に書かれた第四番は、比較的演奏機会が多いと思います。この第四交響曲は1933年に書かれましたが、前年に娘を亡くし、その悲嘆の中で作曲されました。かなり難解な作品で、曲はソロトランペットの悲壮な音で始まり、第四楽章の最後もソロトランペットに回帰して静かに終わります。本日演奏する第一交響曲も、序奏部でソロトランペットが旋律を吹きますが、それはホ長調の朗らかなもの。明るい将来を疑わない若者の、嫌味のない美しさ。これが30数年を経て悲痛な音楽へ変わっていくことに、人生の苦楽と世情の大きな変化を感じずにはいられません。ちなみに、1933年は第二次世界大戦が始まる5年前で、世は混沌とし、不安に包まれた時期でした。
シュミットの4つの交響曲を俯瞰すると、誤解を恐れずに言えば「どっちつかず」という感想を持ちます。つまり「この時代にしては古風に過ぎ、伝統的なスタイルというには前衛に過ぎる」という意味です。しかしながら、第一番については、そうした観点は別として、完成度が高い作品であり、構成や旋律を含め誠に馴染みやすい音楽であることは間違いありません。
最後に、R.ワーグナー(1813~1883)の歌劇『タンホイザー』序曲についてです。かなりポピュラーな曲ですので、簡単に触れるにとどめます。
作曲年は1845年、ワーグナー32歳の時の作品です。多くの方がご存知の通り、後にワーグナーは「楽劇(Musikdrama)」というジャンルを確立しますが、『タンホイザー』は、まだ「歌劇(Oper)」という位置づけです。一方で、本編の前に演奏する曲を「序曲(Overture)」としたのは『タンホイザー』が最後で、この後に作曲した歌劇『ローエングリン』からは「前奏曲(Vorspiel)」と書かれるようになりました。また、音楽と劇の一体性・動機の活用等々、後の「楽劇」の芽ともいうべき要素がたくさん含まれており、「楽劇」へ向けた重要なステップに位置付けられる作品と言うことができます。加えて、『タンホイザー』でも多用される「半音階」は、ワーグナー作品の一つの特徴であり、後年、楽劇『トリスタンとイゾルデ』で究極の形に至ります。
『タンホイザー』序曲はシンプルなA-B-A‘の三部形式で、Aでは巡礼の音楽(場面)を、Bでは情欲におぼれる魔の世界を、A’では巡礼の音楽に戻り神を讃えつつ壮大に終わります。冒頭の「巡礼の動機」と呼ばれる三拍子の有名な旋律はホ長調で、クラリネット・ファゴット・ホルンの三種の楽器で演奏します。ちなみに、この動機は、本編では変ホ長調(♭三つ)です。この「三」という数字は、西洋音楽では、いわゆる「三位一体」という宗教的な意味で重要です。曲の細かい解説を書く紙幅はありませんので、二点ほど投げかけだけを。一つ目は、AとA‘の「巡礼の動機」に出るホルンとトロンボーンの関係性に注目すると、そこには「人間的なもの」と「神の世界」を感じることができます。二つ目として、「情熱の動機」と呼ばれる、弦楽器が三連音(あるいはその断片)で演奏する細かい音符について、これはBの後半からA’を通じても流れます。以上の二点について、色々と想像しながら聴いてみると面白いかもしれません。いずれにしても、「動機」や「楽器特性による分担」等々が有機的につながることで、ワーグナーの作品は、劇を音としても表現しています。
彼が作った「楽劇」というジャンルは、その後、R.シュトラウスに受け継がれ、『ばらの騎士』や『エレクトラ』等多くの名曲につながります。かなり話しは変わりますが、前述のF.シュミットがウィーン宮廷歌劇場チェリストとして初めて演奏した(1896年)のは、この歌劇『タンホイザー』(全曲)でした。
上記に「調の回帰」と書きましたが、これは、最初の『タンホイザー』序曲はホ長調、最後に演奏するF.シュミットの交響曲もホ長調、このように、一つの演奏会で調が回帰することという意味です。ホ長調は、上品ながら少し儚さを感じる美しい調、と言われますが、ハ長調やニ長調のように「暑苦しい」「押しつけがましい」感がない調でもありますので、夏の盛りの時期には丁度いいかもしれません。
一言で100年と言っても、1845年から1947年にかけては、日本では江戸時代から昭和に至っていますし、もっと言えば、この100年は、人類史上において最も大きな変化を経験した時代でした。この間に電気が発明され、移動手段は馬車から飛行機になりました。それほどの変化があったのです。19世紀後半は、産業革命とフランス革命、その後の市民革命を経た激動の後、欧州は途方もない経済発展を見た時代で、機械化が一気に進んだ時代でしたし、ある意味でその帰結としての第一次・第二次世界大戦が起こりました。とりわけ1914年からの第一次世界大戦は、文字通り人類で初めての「総力戦」であり、欧州においてはそのインパクトは計り知れず、C.ニールセンやF.シュミットはもちろん、多くの作曲家の作風は、その前後で一変します。そのような時代的なことも想像しながら、今回の演奏会をお楽しみいただければと思います。
(2023年5月 / 当団常任指揮者)