2024.05.18
フラットフィルハーモニー第12回演奏会に寄せて
~ 二人との思い出に ~
指揮 平 真実
フラットフィルの演奏会のたびに、この「寄せて」を書くようになり数年が経ちます。毎回、その時の選曲に至った考えや、時代背景等々について駄文を連ねてきましたが、今回は、色々なことがあり、長文になりますこと、まずはお詫びいたします。
【はじめに】
この一年の間に、当団として大変悲しい出来事がありました。共に音楽を奏でてきた二人の大切な仲間を亡くしたのです。
お一人は、当団と今までに3回、ソリストとして共演いただいた、ピアニストの後上聡司さんです。まだまだこれから一層の活躍を期待される中、昨秋、41歳でのご逝去でした。後上さんと私のお付き合いは長く、まだ彼が東京音楽大学の学生だった頃に、彼の師である故海老原直美先生のご紹介で知り合いました。当時は私もよくチェロを弾いていましたので、多くの室内楽曲を共に演奏しました。15歳ほど歳は離れていましたが、彼は私を「まこ兄」と呼び、私は彼を「ごがみん」と呼び合っていました。お酒もよく飲みました。最も気心が知れたピアニストでしたので、私が指揮をするオーケストラにソリストとして呼ぶことは、ある意味必然でもありました。その明るく屈託のない性格から、団員からもとても愛され、もはや「ソリストではなく団員」のような存在でした。彼の演奏は、ダイナミック・ロマンティック・奔放、といった言葉が最初に思い浮かびますが、その一方で、壊れてしまいそうに繊細で、優しさに溢れる音を奏でました。R.シュトラウス「ブルレスケ」では高い技術力を見せつけ、豪快でありながらユーモアもある音を披露してくれました。E.グリーグの協奏曲第二楽章での、音が天高く上り消えゆく様は、まさに天上の音楽でした。あまりにも多くの思い出があり、とてもとても書き尽くすことはできません。今回、当団でピアノ協奏曲を選曲するにあたり、私はソリストを後上さんにお願いするつもりでいましたが、残念ながらそれは叶わぬものとなりました。しかしながら、その後上さんの意志と遺志を継ぐ演奏をしていただきたいという思いから、後上さんの東京音楽大学での教え子である、伊舟城歩生さんにソリストをお引き受けいただきました。この文を書いている時点では、まだ伊舟城さんとのリハーサルは行っていませんが、とても楽しみでなりません。
亡くしたもうお一人は、上村智さん、当団創設時からのフルート奏者です。上村さんとも長く、かれこれ20年以上前からお付き合いいただいてきました。数えきれないほどの良い思い出があります。明るく朗らかで、いつも周りを笑わせ、酒とたばこと音楽(と女性)をこよなく愛する、そんな方でした。団としてもそのお人柄にどれだけ救われてきたことか。彼はいつも「音楽はLOVEだ」と言っていました。そのキャラクターから、どこまで本気でどこから冗談かが分かりにくいところはありましたが、この言葉は本気だったと思います。技術的にはどうであれ、彼の奏でる音は愛と優しさと喜びに溢れていました。十年ほど前に病気を患い、それでも当団の活動にはいつも積極的に参加してくれました。きっと、当団と団員の皆を、音楽を通じて心底愛してくれていたのだと思います。
以上、お二人との思い出のほんの一端を書きました。改めて、団を代表して衷心よりお悔やみを申し上げるとともに、御霊の安らかなることを祈ります。
7月20日の演奏会では、「お二人とともに」の気持ちで演奏します。我々の心が彼らに届くことを祈りながら。
【選曲の経緯等について】
昨秋、2024年のフラットフィルハーモニー演奏会の選曲を考え始めた際、ふと「久しぶりにピアノ協奏曲がよいな」と思いました。そして「ソロは後上氏に頼もう」と考えたことは前述の通りです。後上さんは以前「フラットフィルの皆さんとP.チャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾きたい」と言っていましたので、はじめはその線も考えたのですが、現在、ロシアについて色々な意見がある中では、まだやめておこうという気持ちになりました。と同時に、彼とはL.v.ベートーヴェンの協奏曲第五番「皇帝」を二度ほど共演したことがあるのですが、その堂々としながらも繊細、緻密でありながら奔放、という背反する要素を矛盾なく弾き分ける技量を思い出し、「ぜひ、ベートーヴェンにしよう」と心の中で決めていました。結果的に彼との共演は叶わないこととなりましたが、こうして、何番かは未定ながら「ベートーヴェンのピアノ協奏曲」が最初に決まりました。
ほぼ同時期に、メイン曲についても決めました。J.ブラームス最後の交響曲、第四番です。
ブラームスの交響曲は、第一回演奏会で第一番を演奏して以降、第二番・第三番まで演奏したものの、第四番は残っていました。今回は「第12回」演奏会、つまり、干支で言えば一回りですので、そういう意味でもブラームスの交響曲を終えようということでした。ただ、それだけが理由なわけもなく、今まで演奏してこなかったのは、この曲は私にとっては「最も好きな交響曲」であり「最も偉大な(優れた)交響曲」であることから、「簡単には演奏しない」と決めていたからです。フラットフィルも12回、つまり多くの経験を皆で積み重ね、時間を共有してきましたので、まさに「満を持して」取り上げることにしました。
やはり、フラットフィルの選曲に求められるのは「テーマ性」です。これまで、かなりこじつけに近いものもなかったとは言いませんが、それでも、何らかのテーマを持つことは、演奏する側にとっても、意識を合わせるという意味において大切なことなのです。
今回のテーマをどうするか、なかなか悩ましいところではありましたが、「後世へ大きな影響を与えた名曲」としました。つまり、「もしその曲・作曲家がなかったら、次の時代は違う風景になっていたかもしれない」、そんな曲を選ぶことにしました。そうなりますと、ベートーヴェンの協奏曲は第三番であるし、最初に演奏する曲はC.M.ウェーバーの『魔弾の射手(序曲)』に決めるのには、さほど時間はかかりませんでした。
ここまで書きましたので、この三曲について「後世へ大きな影響を与えた」という視点を中心に、以下にもう少し細かく書いてみます(各曲の詳しい解説は、演奏会当日配布のプログラムをご覧ください)。また、もう一つ隠れたテーマもあります。それは「拍」です。何拍子か、ということではなく、「表拍」「裏拍」「強拍」「弱拍」等々です。これについては、お聴きいただく中で、何かを感じていただければと思います。
まずは、ウェーバーの《魔弾の射手》です。ウェーバーの功績は、この曲によって「ドイツオペラ」(ドイツ語圏の人による・ドイツ語圏の民謡や伝説をもとに・ドイツ語圏を舞台にした・ドイツ語圏の人々のためのオペラ)の先駆を作った、ということです。意外かもしれませんが、当時(少なくともW.A.モーツァルトの時代まで)は、ドイツ語圏の女帝マリア・テレジアですら「ドイツ語のオペラなど考えられない」、つまり「オペラはイタリアのものでなければだめ」で、ドイツ語ではせいぜい「ジングシュピール」(大衆演劇といった趣旨:レチタティーヴォの代わりにドイツ語の地のセリフが入る)がいいところ、と言っていたほどです。これは、文化レベルの差異や言語そのもののもつ特性も理由にあるとは思いますが、いずれにせよ、そのような歴史環境・状況の中で初めての「ドイツオペラ」ができたことは、大きな歴史的な意義があったということです。もちろん、それまでもドイツ語で書かれたオペラ(やジングシュピール)はありましたが、現代まで残っているものは、モーツァルトの『後宮からの逃走』『魔笛』、ベートーヴェンの『フィデリオ』くらいで(モーツァルトの他のオペラの歌詞はイタリア語で書かれています)、また、この3曲は、物語の舞台がドイツ語圏や神話の世界ではなく、特定の他の国(『後宮』はトルコ、『魔笛』はエジプト、『フィデリオ』はスペイン)ですから、本当の意味での「ドイツオペラ」ではありません。
『魔弾の射手』はこのような歴史的意義のある曲ですが、それだけではなく、R.ワーグナーやH.ベルリオーズは、この曲を聴いて(観て)音楽家を志したと伝わるなど、直接的に次世代に影響を与えている点も見過ごせません。また、序曲が「単に始まりを知らせる曲」ではなく、本編の内容を凝縮したものになっている点も、後の世代に繋がっています。
次に、ベートーヴェンの協奏曲です。この協奏曲第三番は、第四番・第五番『皇帝』と比べると演奏機会は少ないのですが、その革命的な作風こそ、後の時代に大きな影響を与えました。具体的には、いわゆる伝統的な協奏曲の形式(オーケストラはソロの単なる伴奏でしかない=協奏曲というジャンルそのものがソリストの技量を披露するための曲)から脱皮し、ピアノソロとオーケストラの関係を新たな次元に引き上げたところです。つまり、ピアノソロとオーケストラは対等な関係であり、互いに協奏・競奏するとした、今の我々がイメージする協奏曲のスタイルを最初に確立した先駆的な作品ということです。これにより、協奏曲というジャンルでの表現の幅は大きく広がることになりました。当然ながら、F.ショパンやF.リスト、R.シューマン、ブラームス、チャイコフスキーの協奏曲は、このスタイルの上に立脚しています。こうした外形的な面に加えて、この曲の中には「苦悩の末に解放される」という、ベートーヴェンが好んだストーリー・メッセージ性が織り込まれています。自身の内面の吐露、というロマン派音楽の萌芽ですし、このストーリー・メッセージ性は、直後に書かれる「エロイカ」「交響曲第五番」等々に引き継がれ、定着していきます。
最後にブラームスです。時として、同時代の新ドイツ楽派(リストやワーグナー)との対比の中で「懐古的」「保守的」と評されるブラームスですが、決してそのようなことはありません。確かに、曲の構成やスタイルは伝統的なものを踏襲していますが、その中に革新的要素を見出だし、それを拡張し、一つの技法にまで昇華させた人がいます。A.シェーンベルクです。
細かく書くと専門的に過ぎますので、極めて簡単に言えば、ブラームスは「変奏」や「対位法」等の作曲技法を駆使し、創意工夫する大家として知られますが、外形的には古典的なソナタ形式を維持しているように見えつつ、「対位法」や「動機変奏(発展的変奏)」で共通の動機や主題を使い切れば、もはや形式の根幹である和声法もソナタ形式も不要になる(ブラームスは、意図してそうしたのではなく、技法を凝らし過ぎたためにそうなった)、結果的に、シェーンベルクは動機変奏を動機や主題の操作の技法に止まらず非調性音楽ができるかもしれないという可能性に気づいた、ということです。いわゆる「十二音技法」の萌芽をブラームスの音楽の中に見出したのです(仮にその技法の行きつく先が「クラシック音楽の終焉」であったとしても)。
今回演奏する「交響曲第四番」について、もう少し書きます。
この曲が書かれた頃(1884~1885)には、A.ブルックナーは交響曲第七番(1883)を、A.ドヴォルザークは交響曲第七番(1885)を、C.サン=サーンスは交響曲第三番「オルガン付き」(1885)を、そして1888年にはG.マーラーが交響曲第一番「巨人」を作曲していることを考えると、たしかにブラームスの交響曲第四番はいかにも「古風な」外見です。しかし、この曲も一見(一聴)しただけの外見からは分からない創意工夫があちらこちらにあります。文字通り「あちらこちら」にあるためにすべて書くことなどはできませんが、一般的によく言われる下記の点だけでもある程度お分かりいただけると思います。
・調性が一般的ではない(その上、短調で始まり短調で終わる)。
・すべての楽章がソナタ形式(第二楽章は展開部は持たない)になっている。
・第一楽章冒頭の7音は三度(六度)でつながり、一音も重ならない(意図的に隠している)。その旋律を同時に伴奏でも使う。
・第二楽章冒頭では、教会音楽の「フリギア旋法」を使っている。
・第三楽章では、通常スケルツォであるところ、2拍子のアレグロである。
・第四楽章では、バロック時代の変奏技法「パッサカリア」を使い、全体が30の変奏とコーダから成っているのに加え、その上でそれらをソナタ形式の中に入れ込んでいる。
これだけでは「それだけか」と思われるかもしれませんので、第一楽章冒頭の50小節ほどにフォーカスして挙げてみます。わずか50小節ほどの中に、これほどの工夫があります。
◆主要主題(1~18小節)が、19~52小節で変奏されている(普通は、ただの経過句・確保の部分)
◆10小節からのCbの動きは、第四楽章の主題の芽でもある
◆19~26小節では装飾的に変わる(Vnはステレオ効果・低弦は三度下降と六度上昇)
◆27~32小節は、主要主題後半部(9~14)を少し変えて(和声も)再登場する
◆33~36小節は休符付きのシンコペーションで、主要主題の六度上昇が出てくる
◆37~41小節は、シンコペーションのリズムと八分+四分のリズム(低弦で初めて出てくる)、二分音符の中を「付点四分+八分」「八分休符+八分+四分」といった動きが入る
◆42~44小節になって、はじめて「揃って下降音」が出る(それまでは各パートの動きがバラバラ)
◆45~52小節は、主要主題後半部(15~17)を使って別の旋律を生み出す
この曲は、交響曲として時間が長いわけでも、合唱が入るわけでも、編成が大きいわけでも、楽章が多いわけでもありません。つまり、外形は、ベートーヴェン時代とは言わないまでもシューマンとほぼ同じで、ブラームスとしては、古いままの外形の中に、どこまで新機軸を打ち出せるか、加えて「外面が異なっていたとしても互いに関連付けがされていて、それによって全体の統一感が保たれている姿」を目指していたのだと思います。曲を通して、横に流れていくのではなく、小さな塊が組み合わさり、変化をしていく音楽であり、かつ、全体としては古典的な形式の枠の中に入っている、といったものです。ですので、全体を「ざっと聴く」のではなく、「虫の目」で楽譜を読み込むことが大切な曲でもあります。そういう意味でも、ブラームスは単にベートーヴェンの後継者にとどまったわけでも、そうだったわけでもありませんでした。(*1)
ブラームスは、生涯に180ほどの曲を残していますが、管弦楽曲は13曲(3つの編曲とドイツレクイエムは除く)のみで、主に室内楽曲・ピアノ曲・歌曲を書いた作曲家だったと言えます。交響曲第四番を書いたのは52歳の時で、それから亡くなるまで12年間生きるものの、交響曲は書いていません(交響曲というよりも管弦楽の曲自体1887年に書いた二重協奏曲のみ)。この曲の曲調(短調に始まり短調で終わる、さらには「儚い」「感傷的」雰囲気のホ短調であること)等々から、交響曲第四番はブラームスの「諦観」を表したものだ、とも言われますが、それは違います。少なくとも彼は、その後亡くなるまでの間に数々の栄誉(ハンブルク名誉市民称号やオーストリア皇帝からのレオポルト勲章等々)を受けており、決して「世捨て人」になったわけではなく、むしろ、その評価はどんどん高まってさえいました。まさに「頂点に上り詰めた大成功の人」であり、晩年は「大作曲家の名をほしいままに」し、特にワーグナー没(1883年)後は圧倒的な存在として音楽界に君臨していたのです。では、5番目以降の交響曲を書く時間や社会的立場が十分にあったにもかかわらず、なぜそれを書かなかったのか。それは、恩人であるシューマンが4曲の交響曲であったことやら(*2)、そもそも交響曲というものが彼の性格に向いていなかった(*3)等々もあるのかもしれませんが、やはり「これ以上交響曲というジャンルで書くものはない」「4曲ですべて書ききった」という、一種の達成感があったからではないでしょうか。それほどまでに、彼の残した4曲の交響曲は、「ブラームスらしさ」が密度高く詰まった傑作であり、中でも第四番は、その集大成として圧倒的な存在感があります。
(*1)ブラームスの交響曲第一番をH.v.ビューローが「ベートーヴェンの10番目の交響曲」と評したことから、ブラームスをベートーヴェンの後継者とする見方があります。もちろん、相当にベートーヴェンを意識したことは間違いないでしょうが、単にそれだけではありません。違いを多数上げることは可能ですが、交響曲の、特に第一楽章の展開部の扱いの違いを例に簡単に説明します。ベートーヴェンの交響曲には「圧倒的な高揚感」がありますが、ブラームスはそれほどではありません。その違いはどこにあるかというと、それは展開部と、それに続く再現部にあります。下記の三点が主たる相違点です。
①ベートーヴェンの展開部は属調に始まり、転調を繰り返しながら再現部に向けて調を整えていき、一気に爆発する、というスタイルです。一方、ブラームスは、展開部は必ずしも属調で始まらず、転調はするものの再現部での爆発は意図していません(むしろ、いつ再現部に入ったのかが分かりにくいほどです)。
②ベートーヴェンは、動機や主題の操作は展開部で集中的にやりますが、ブラームスは展開部に限らずすべての部分でやります。
③ベートーヴェンの展開部は、「提示された主題を分解する場」であり、主題が原型に回復される再現部を目指しダイナミックに進んでいきますが、一方ブラームスの場合は、展開部の始まりですでに和声的に解決していることが多く、ダイナミックな展開部にはなりえませんし、したがって、再現部の入りも盛り上がりません。
以上は、あくまでも交響曲のソナタ形式の中の展開部に関するところだけです。全体で見れば、構造的にはかなりの違いがあります。
(*2)ブラームスの恩人・恩師であるシューマンは、生涯に4曲の交響曲を残しましたが、ブラームスの4つの交響曲は、シューマンの各交響曲の「二度(一音)上」の調性で書かれています。ぞれぞれの交響曲第一番は、シューマンはB-durに対しブラームスはC-moll、第二番はC-durに対しD-dur、第三番はEs-durに対してF-dur、第四番はD-mollに対してE-moll。単なる偶然だとしたら、それはそれで不思議ではあります。
(*3)19世紀における「交響曲」という概念・形式は、ベートーヴェン(特に交響曲第三番・第五番)によって形成・確立されました。それまでは、特定の相手(主として雇い主である貴族)に向けての音楽であったものが、ベートーヴェンによって、向ける対象が「全人類」になりました。つまり、「全人類に向けて訴えかける」ことを目的としたものが交響曲になった、ということです。これを、T.アドルノは「人類に対して語られる大衆向け演説」と表現しています。このような「大見得を切る」ことが求められる交響曲というジャンルは、内向的な性格のブラームスには少々向いていなかったのかもしれません。
こうして並べた三曲ですが、唯一迷った(悩んだ)点がありました。それは、前半の2曲が、ともに「ハ短調に始まりハ長調で終わる」というところです。調性(さらにはその運び)が同じということは、多様性の逆で、「変化が乏しくて退屈」につながります。とはいえ、「勧善懲悪」の『魔弾の射手』と、「苦からの解放」の協奏曲第三番は、調の運びが同じでも意味合いが全く違うこと、また、むしろそうすることでブラームスのホ短調が目立つこと、等から最終的には良しとしました。
以上が選曲に至った背景等々ですが、当団としては珍しく(?)「あまり知られていない作曲家が入っていない」プログラムになりました。今まで当団は、H.ロットやN.ゲーゼ、F.シュミット等々、「知る人ぞ知る」作曲家を取り上げてきましたが、今回は有名どころが並び、さながらポピュラー演奏会の様相です。毎年ご来場いただいているお客様からは「いつも初めて聴く曲があって楽しい・知る楽しみがある」といったご意見もいただいていますが、とはいえ、仮によく知られた曲であったとしても、当団らしさ・我々独自の解釈を通じて、ご来場の皆様には新鮮な気づき・気持ちを持ち帰っていただければと思っています。
フラットフィルは、お陰様で干支で一回りしました。次の一回りでさらに羽ばたいていけるよう、夢を大きく持ちながら進んでいきたいと思います。これからの活動にも、ぜひご期待ください。